アウトドアblog「ちょこっと山歩き」について

三代目「ちょこっと山歩き」

僕が大学生のときに初めて立ち上げたホームページの名前が「ちょこっと山歩き」だった。同じ名前をこのブログにもつけたというわけだ。

今からかれこれ20年以上も前、ホームページビルダーというソフトを使って制作した。テーマはこのブログと同じ。高校や大学時代の登山やスキー、旅の記録を載せていた。

そんな一代目の「ちょこっと山歩き」は、今はもう見ることができない。預けていたサーバー(Yahoo!ジオシティーズ)がサービスを停止してしまったからだ。

サービス停止に際してデータの移行期間が設けられていたけれど、その頃にはほとんど更新もしておらず、そのままほったらかし。今となっては悔やまれるが、すべては後の祭りだった。

その頃、NTTレゾナントという会社が提供するgooブログのサービスを使って、同じ名前の無料ブログを立ち上げていた。すでに世の中に定着し始めていた無料ブログサービスは、ホームページビルダーよりも更新が簡単で、使い勝手が良かった。「ちょこっと山歩き」の二代目だ。

もっぱらこちらばかりを更新していたこともあり、Yahoo!ジオシティーズのサービス停止も気に留めていなかったということもある。ただ、2020年10月3日の更新を最後にこちらも途絶えてしまう。つい最近まで更新してたようにも思えるが、最後のほうは雑な更新が続いている。なかなか継続できないのだ。

この二代目はインターネット上でまだ誰でも見ることができる。

二代目「ちょこっと山歩き

更新もされずに廃れブログになってしまったが、gooブログのサービスが終了しない限り、とうぶんはこのままにしておこうと思っている。

というわけで、このブログが三代目の「ちょこっと山歩き」なのだ。

WordPressを使い、独自ドメインも取得して、サーバーも有償で借りて制作している。別に運営している「アラフォーサラリーマンの終活」の兄妹ブログとして立上げた。

当初は「アラフォーサラリーマンの終活」のひとつのコンテンツとして登山やスキーなどの記録を載せようと思っていたけれど、あまりに一貫性がなくなるのでやめだのだ。

思い出の「ちょこっと山歩き」を三度復活させるべく構想を練り、ようやく立ち上げることができた。

果たして、廃れることのないように管理・運営できるだろうか。三度目の正直になるのか、二度あることは三度あるのか、そればかりはなんとも言えないが、できる限り前者になるように努めたい。

アラフォーサラリーマンの管理人

僕は1983年生まれのアラフォーサラリーマンだ。アラフィフになっても、アラ還になっても、このブログ上では「アラフォーサラリーマン」かもしれないが、気にしないで欲しい。

ハンドルネームは「SORA」。高校生のときに北アルプスは常念岳の山頂から見上げた空の色が忘れられなくて、その時からずっとこのハンドルネームを使っている。「宇宙が近いな、宇宙ってこんな色なのかな」って思ったことを今でもはっきりと憶えている。色でいえば群青色なのかもしれないけれど、それ以来、山で見上げる濃い青の空の色を僕は勝手に「宇宙色」と呼んでいる。

クライマーだった父と母の子に生まれ、気づけばイヤイヤながらも山に登らされていた。

東京は高尾山の麓近くに家があったことも幸いして、5歳で高尾山から陣馬山を縦走。7歳で上高地は徳沢を往復。小3で南アルプスの鳳凰三山を縦走。小学校高学年から中学生になると、槍ヶ岳から大キレットを超えて北穂高岳へ縦走したり、前穂高岳の北尾根を登攀したりした。

どれもどちらかといえばイヤイヤだった。いつも夜のテントはどことなく怖くて、ちょっとした物音でも怯えていた僕がいた。今でもそうかもしれないが根が臆病なのだ。

転機は父の死だった。

僕が16歳になったばかりのときに父は死んだ。病死だった。しかも別れはあまりにも突然だった。

あの日も山の話をしていた。僕は新田次郎の「強力伝」という小説を読んでいて、「どうしてこんな重たい荷物を背負って山に登れる人がいるんだろうか、本当に実在していたんだろうか。」というようなことを父に聞いたことを今でも覚えている。

その問いに対する父の答えは覚えていないのだけれど、その話をしていたすぐあとに、父は突然この世から消えてしまった。

しばらくは実感も何もわかなかった。何が起きたのか、死ということも、わからない。

そりゃそうだろう。16歳になりたての若造にいきなり死を突きつけたところで理解なんてできるはずがない。

いま振り返ってもドラマのようで、自分の記憶が本当なのか作り話なのかさえも怪しいといえばそれまでだ。父が本当に存在していたかさえもわからないくらい、父との記憶はほとんど残ってない。唯一、父が忙しい仕事の合間を縫っては連れて行ってくれた山の記憶だけが僕の父との思い出だ。

父の血は間違いなく僕の血のなかに流れてて、間違いなく山への魂は引き継がれた。そう、突然の転機は父の死だったのだ。

父の死がなければ僕はいま山に登っていなかったかもしれない。

それからの僕は、人が変わったかのように自分から山に登り始めた。山のどこかに父がいる気がして、父を探しに山に登っていた。本当にそんな気持ちで登っていた。

イヤイヤ山に連れて行かれていた頃は、山の天気も曇りや雨が多かった記憶があるが、それからの山は晴れる日が多くなった。

やっぱり父は山にいて、良い天気にして僕を待っていてくれているのかもしれない。高校生のときからそんなことを思うようになり、今でも山で天気に恵まれるたびに父に「ありがとう」と感謝している。

集大成

三代目「ちょこっと山歩き」は、これまで僕が歩いてきた山をはじめとしたアウトドアの軌跡の集大成にしたいと思う。どんなに古い軌跡でも、記憶と記録が残っている限りここに書き留めたい。そして、これから死ぬまでに歩く軌跡も書き留めていきたい思う。

父とは、冬の白馬岳から針ノ木岳を縦走する計画や、冬の八ヶ岳を縦走する計画を話してた記憶も朧気にある。

どちらもまだ実現できていないけれど、いつか実現できたら嬉しい。まだまだ登りたい山はたくさんある。

もうすぐ僕は父が死んだ年齢になる。なんだか不思議な気持ちしかない。父がどんな気持ちで山に登っていたのか、今となっては知る由もない。山の他にも知りたいことはたくさんあるのにもはや知る由はない。

さて、比べることに何ら意味はないが、もしかすると、僕も父に負けないくらい山をはじめとしたアウトドアに興じてきた気もしている。

登山、クライミング、沢登り、スキー、釣り、旅、温泉。

アラフォーサラリーマンのアウトドアブログ「ちょこっと山歩き」(三代目)をよろしくお願いします。

【おわり】

おススメの山の本
「強力伝」

50貫(約187キロ)もの巨石を背負って白馬岳山頂に挑む山男を描いた新田次郎の処女作であり直木賞受賞作。
「山」を知り「雪」を「風」を知っている著者の傑作短編集。

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